haneyuri2006-11-07

長崎修学旅行三日目の話…


この日は、長崎市内の自由行動でした。
ゆり達はまず路面電車に乗って築町という場所へ向かいました。
築町についてまず出島に行きました。

出島っていうのは鎖国時代に西洋に対して開かれた唯一の窓口として日本の近代化に大きな役割を果たしたんだよ〜(らしい)
でも明治以降、出島周辺の埋め立てが進み、1904年に出島は姿を消したんだって。今、その歴史的価値を未来に残そうと、出島復元整備事業が進んでるんだって!!

がんばれ出島☆


そのあと、中華街に行ったよ♪
従兄弟にbaby用ブルースリー服とかおもしろお土産を購入して…
角煮まんを食べたよ♪角煮まんはもう…おいしくておいしくて


販売してるおじさんに美味しさを伝えまくってました 笑

おじさん!これからも美味しい角煮まんを作ってねーー


そのあと、築町のアーケードに行って。。
眼鏡屋さんの人に美味しいトルコライスが食べれるお店を聞いて
いざ、穴場へ!!!


おいしかったよ^^


そして、グラバー邸を見に行ったよ☆

まず坂の下でチリンチリンあいすを食べたよ♪
綺麗にチューリップの形に作ってくれたのーー感激。
はやいはやい!あれは神業でした。
カステラなんかのお土産を買ってグラバー邸へ

グラバー邸っていうのはスコットランドから来たトーマス・グラバーが南山手の丘に建てた住まいの事だよ♪
このグラバー邸って真上から見ると屋根が四葉クローバーの形をしているんだよ♪
かわいいよね。
しかも、このグラバー邸は江戸時代末期に建てられた日本最古の木造洋風建築で国の重要文化財に指定されてるんだよ☆


じゃあ、ちょこっとまめ知識としてこのトーマス・グラバーさんについてお話しします♪


トーマス・ブレーク・グラバー
スコットランド出身のグラバーは1859年、彼が21歳の時に開港と同時に長崎に来日。グラバー商会を設立しました。幕末の激動の時代の中、坂本龍馬を始めとする志士たちを陰で支え伊藤博文らの英国留学を手伝うなど、若い人々への多大な援助を惜しみませんでした。また日本の近代技術の導入に貢献するなどしていました。とび色の瞳と赤い顔のため、彼が経営していた炭坑の坑夫からは『赤鬼』とあだ名されましたが、その性格は豪胆で情に厚く、使用人の子供にさえお土産を忘れないきめ細やかな愛情の持ち主だったそうです。同様に家でも妻に優しく温かい家庭をつくり、仲むつまじく日本で終生を過ごしました。


すごい人ですね♪
凄いと言えばグラバー邸のすてきな事!!
あと、グラバー邸やその丘から見る景色の美しさはもうすばらしかったです。
皆さんにも是非見てもらいたいな。


そして、バスに乗って雲仙へと向かいました。